胸騒ぎの楓号



練習が休みだったのは一月一日だけで、今日は勿論、昼から学校に召集されていた。
流川は喜々として朝から学校に来たのだが、始まる時間を更に遅れてきた三井は不機嫌を露にしていた。
体育館の端に座り、マネージャーに渡された飲み物で渇きを潤しながら、何とはなしに極悪面の三井を眺める。
三井は宮城に向かって文句を言っていた。
「俺もう引退してんだけど。電話とかするかふつー、まだ二日だぜ、一月二日」
今日から練習があるということを忘れていそうな部員に、キャプテンは電話をしたらしい。
そういえば桜木が宮城に抗議しているのも見かけた。
説得力のない眠そうな顔で、電話なんかしなくても俺は覚えてたぞ、と。
その時宮城は笑ってあしらっていた。
しかし今は三井の鼻先に人差し指を突きつけ、険しい顔をしている。
「そっちが言ったんでしょーが。引退しねぇ、卒業するまで部活やるから部員として扱え、って」
何故態度が違うのか流川にはわからなかった。
桜木はまだ可愛げがある、と言う皆の意見には賛同できなかった。
どちらも可愛くなんかないからだ。
「そうだけどよー、正月ぐらい休ませてくれたって……」
言葉に詰まっていた三井が宮城から目を離し、唇を尖らせてぼそぼそと何か呟いた。
可愛くない三井が可愛く見えた。
大いに矛盾した思考に流川は首をひねる。
可愛いのか可愛くないのかどっちなのか、はっきりしない。
「バスケ部員に休みはありません!」
ぴしゃりと撥ね付ける宮城と唸る三井の間に、桜木が割って入った。
一月二日からわざわざ来ている桜木軍団の一人との話は終わったらしい。
「それは違うぞリョーちん!」
「桜木」
味方が出来たと輝いている三井の目が、桜木の得意そうな顔を見つめている。
やっぱりどっちも可愛くなんかない。
流川は何となく見ていられなくなって、今まで桜木がいた方へ視線を移した。
冬の間、体育館の扉は閉めてある。
さっきまで桜木と立って話していた水戸が、その扉の前に腰を下ろした。
中途半端に下りた前髪が邪魔そうだと思いつつ、人のことを言えない自分の髪を触る。
昨日三井に切った方がいいと言われたことを思い出した。
「休みなら昨日あったではないか」
桜木のよく通る声が、聞きたくなくても耳に入ってくる。
声につられて視線を戻そうとすると、見られていたことに気付いたのか、水戸が顔を流川の方に向けた。
凍り付いているような表情をしている。
つい何十秒か前までは笑顔で話していたのに、今はまったくの無表情だ。
「そうだよ三井サン、昨日休みだったんだからもう文句言わねーの!」
宥めるというより寧ろ煽るような宮城の声が頭を抜けていく。
水戸がいる場所から流川に向かって、ぴりぴりした空気が床を伝ってきていた。
悪意ではない、ただの敵意。
今までバスケをしている時以外にこんな敵意を直接ぶつけられたことはなかった。
水戸がバスケをしているところを見たことすらないのに、流川は一瞬今が試合の最中なのかと錯覚した。
練習中の石井達がたてる耳慣れた音がその錯覚を増長させ、神経が逆立っていく。
絶対負けない、という気持ちが胸の奥から湧いてくる。
しかし、敵視されている理由も、している理由もぼやけたままだった。
「……俺は休みじゃなかったんだよ」
うんざりした様子で三井が溜め息をつく。
それが合図だったかのように水戸がゆっくりと流川から視線を外した。
向けられていた敵意はひとかけらも残されていない。
水戸は桜木のいる方を見ている。
流川は三井のいる方を見た。
別に見たくもない桜木の目立つ頭が目に入る。
「休みだったぞ、ミッチー、もう忘れたのか? 昨日のことなのに……」
「もしかしてアンタ昨日も練習してたの? 元旦から練習って、どっかの誰かじゃあるまいし」
「病気なんじゃねーか?」
失礼なことを言いながら桜木が三井の額に手のひらを乗せているのを見て、反射的に眉をひそめた。
元旦から練習したからって、病気などと言われる筋合いはない。
それに、昨日あんなに元気だったのだから熱なんかあるわけがない。
「うわっ、ほんとに熱いぞミッチー!」
「えっマジで?」
桜木の手の横に宮城も手を置いて、三井の顔は見えなくなった。
「マジだ! 熱あるよ三井サン!」
流川は顔をしかめたまま立ち上がった。
本当に熱があるなら大変だ。
昨日はしゃぎすぎたのかもしれない。
確かめなければ、と思い、無意識に音を立てないようにして三人に近付いていく。
桜木と宮城がまだ三井の額に手をくっつけているので、三井がどんな表情なのかはわからなかった。
「うるせーなーもう、ほっとけ、これで平熱だっつーの。むしろお前らが熱いんだよ、っていうか暑苦しい。いい加減手、」
「離せどあほう」
我慢の限界が来たらしい三井が捲し立てている間に、流川は桜木と宮城の後ろに立ち、三井の最後の言葉を遮った。
額を覆っていた二つの手は離れ、宮城ひとりが驚いたように振り向いた。
二人を挟んで向かい合っている三井は何故か気まずそうに流川から目を逸らした。
後ろの流川に気付いていない桜木が肩をいからせて喚く。
「何っ、ミッチー、どあほうとは何だ! この天才に向かって!」
「俺じゃねーよ!……」
咄嗟に叫んだ三井はすぐに口を噤み、左手を腰にあてて俯いてしまった。
何となく様子がおかしい。
いつもと違うように感じる。
これはやはり、病気のようだ。
宮城も桜木も同じことを考えているらしく、俯いた状態でまた溜め息をついている三井を心配そうに見つめていた。
昨日結局日が暮れるまで付き合わせてしまったから、疲れているのかもしれない。
流川は体力がない方だが、三井は更に体力がなかった。
いつの間にか練習の手を止めて、全員が三井に注目していた。
熱いだの熱があるだのと騒いでいたので当然だろう。
静まり返った体育館の中で、皆三井が何か言うのを待っていた。
「……帰るわ。俺。熱あるし、やっぱしんどいかなー……って。多分風邪引いたんだよ。な。だから帰る」
三井の口から出てきたのはどことなく、いや明らかに不自然で言い訳がましい台詞だった。
だが、誰もが気付かなかったことにした。
病気の時は頭が混乱して意味不明なことを言うものだと流川も思った。
「じゃな」
三井は誰にも何も言わせないうちに踵を返した。
誰とも目を合わさずに部室に戻ろうとする三井の手首を反射的に掴む。
確かに熱い。
今まで気がつかなかったが、振り返った三井の頬はいつもより紅潮していた。
昨日ほぼ一日中付き合わせたせいで、風邪をひかせてしまったのだろうか。
ずっとバスケをしていたわけではないとしても、無理をさせたのかもしれない。
それなら一人で帰すわけにはいかない。
「家まで送る」
思いがけなかったらしい流川の言葉に辺りがざわつき、三井が目を丸くした。
そして、困ったような、嬉しそうな微笑みを浮かべた。
「……いいよ、お前は練習しとけって」
それを儚げだ、などと思った自分が気持ち悪いが、今の三井は病気なので儚くても仕方がないと言い聞かせる。
儚げな病気の三井を一人で帰すのは心配で、嫌だった。
「イヤだ。送る」
頑として譲らない流川に三井は首を振り、頭をかいた。
「風邪うつったらどーすんだよ」
「うつらない」
「わかんねーだろ」
「病気の先輩を一人で帰せない」
流川と三井のやりとりに、珍しく桜木が口を挟んでこない。
宮城も止めようとせず、不安げな視線だけが集まっていた。
普段視線が痛いと思ったことのない流川は、今も全く痛くも痒くもなかった。
今はただ三井が心配だという気持ちひとつが流川を動かしている。
「……一人じゃなきゃいいんだな」
三井の目がふらふらと彷徨い、諦めたように扉のところで止まった。
流川もそれを追い、扉に目を向ける。
そういえば、そこには水戸がいた。
あぐらをかいてこっちを見ていた。
「あいつが送ってくれるってよ」
三井が両手を腰にあて、傷のある顎をしゃくる。
座って傍観していた水戸が、
「え、俺?」
ととぼけてみせた、ように流川には見えた。
水戸はおもむろに立ち上がり、流川と三井の側まで歩いてくる。
「練習の邪魔しちゃ悪いもんね」
立ち止まって三井を見上げ、にっこりと笑いかけた。
三井はそれを鬼の形相で睨み返している。
「いいよ。俺が送ってく」
水戸が流川の方へ身体を向けた。
表情は貼付けたように変わらない。
目が合っても敵意も他の感情も伝わってこなかった。
落ち着かないという風な三井の視線が水戸と流川の間を行き来している。
流川が返事をするのを待っているのだ。
わかっていて口を開かないでいると、水戸が首を竦めた。
「……二人なら帰っていいんだろ?」
ここでまたイヤだ、とか言ったら、それはただのワガママだ。
流川は自分がただのわがままであることは知っているので、三井の体調が普通ならワガママを押し通す。
しかし今の三井は病気で儚げに困っている。
困らせているのはどう考えても流川で、それは望んでいることではない。
流川が望んでいるのは三井を送ることだが、それ以上に、早く風邪を治してまた一緒にバスケをして欲しいということだ。
つまり、三井を送るということを、今回は水戸に譲るべきなのだ。
水戸に送ってもらうと三井が言い出したのだし、それが一番いい案なのだ。
そう結論を出し、流川は渋々々々頷いた。
「……先輩、早く良くなってください」
何故か敗北感が押し寄せてくるのを無視して告げる。
それを聞いた三井が矢でも刺さったかのように胸を押さえて短く呻いた。
「……」
水戸が何度か瞬きし、僅かに顔を歪めて耳の後ろを掻いている。
「……おう、サンキュ……」
昨日とは打って変わった弱々しい笑顔の三井が流川を見つめた。
こうしているとワガママを突き通したくなりそうだった。
どっちも可愛くはないけど、桜木に対してよりは三井の方に優しくしたくなる、と思う。
「じゃあ、な。おめーらもしっかり練習しろよ」
三井は黙って見ているだけだった周りの部員に声を掛け、今度こそ流川に背を向けた。
昨日は流川の場所だった三井の隣には、今は水戸がいる。
「三井先輩、お大事に」
彩子の高い声が二人を体育館の外へ送り出した。

「なぁ、止めといた方がいいぞ、流川」
練習が終わったあと、宮城に呼び止められた。
何の話なのか思い当たらなくて、真面目な顔で訊ね返す。
「何がっすか」
「何って……」
宮城は口を開いたまましばらく悩んでいるようだったが、すぐに続きを話した。
「……いや、ほら、あんまり練習しすぎると却ってよくねーからさ、たまには休む日も作れよってこと」
「ウス」
相手の微妙に引きつった笑顔に気付かずに素直に頷き、そのまま自主練習のためにボールを取りに行く。
「……ほんと、止めた方がいいぞ……」
話を理解していない流川に、宮城はそれ以上何も言ってこなかった。






書き終わったらあまりにも流川が不憫すぎましたがどうしようもありませんでした。
誕生日の続きなのに不憫でごめんね流川。
やっぱり私の流川に対する愛が歪みきっているのが問題なようです。
そしてミッチーも洋平も悪人になったので、出来れば今度色々フォローしたいです……。

戻る