刺青




初めて三井と会ったのは、紅葉が始まる頃だった。

久しぶりに入った店に見たことのない顔を見つけ、鉄男は気まぐれで声を掛けた。
『見ない顔だな。』
ソファに座っていたそいつは値踏みするように鉄男を見上げた。
まだガキの表情をしていたが、その瞳は何もかも諦めたように冷たかった。
無性に居心地が悪くなり、鉄男は煙草を取り出して火を点けた。
何度か顔を合わせたことがある男がガキの隣で立ち上がって、
こいつ最近こっちに来たばっかなんで何も知らないんですよ、
などとフォローしていたが、鉄男の耳には入ってこなかった。
『あんた、名前は?何てーの?』
その様子を窺っていた三井が突然、鉄男にとって凶悪な笑みを浮かべて言った。
目が離せない。
『お、おい、三井!』
名前も思い出せない男が焦って三井の口を閉じさせようとしている。
その手を払い、三井は立ち上がった。
『…鉄男だ。』
煙草の煙と共に吐き出す。
自分の名など久しく口にしていなかった。
この辺りで鉄男に名前を聞いてくる人間は、ひとりもいなかったのだ。
『へぇ。テツオね。』
三井は鉄男をじろじろと眺めた。
鉄男も、明らかにこの場にそぐわない、何不自由なく育ってきたように見えるガキを観察していた。
『俺、行くとこないんだけど。泊めてくんねぇ?テツオ。』
冷や汗を流している男には目もくれずそう言った三井は、少し首を傾げて無邪気に笑った。
鉄男に選択肢はひとつしかなかった。


頬に痛みを感じて目を覚ます。
三井が不機嫌な様子で鉄男の頬をつねっていた。
『遅ぇよ。早く起きろ。』
離した手で、今度は叩かれる。
完全に夜型の人間だった鉄男は、いつもそれを阻止することが出来なかった。
欠伸を噛み殺しつつ煙草に手を伸ばすと、三井の怒声が飛んでくる。
『それより先に顔洗え!』
三井の朝はやたらと早かった。
何故たまにしか文句も言わずそれに付き合っているのか、鉄男には自分がわからなかった。

顔を洗って戻ってくると、三井は窓枠に腰掛けてぼんやりと遠くを眺めていた。
またあの何もかもどうでもいい、という目で。
『メシは食ったのか。』
鉄男が声を掛けるとその瞳の色は消え、ガキらしい顔に戻る。
その瞬間が、鉄男は何となく気に入っていた。
『まだ。今日はオムレツにしろ。』
機嫌の直った三井の命令に、冷蔵庫の中身を思い出しながら答える。
『…中身はツナとホウレン草だな。』
『なっ、ホウレン草嫌いだって昨日も言っただろ!』
窓枠から降り、三井は鉄男に向かって五月蝿く喚いた。

作るのが面倒で、鉄男は今まで外食ばかりして暮らしていた。
冷蔵庫に食材を入れるようになったのは、三井が来てからだった。


出会って二度目の夏が来る前に、三井は居るべき場所に戻って行った。
鉄男はなるべく三井のことを考えないように生活し、冷蔵庫はの中身はまたビールと水だけになった。
部屋に戻れば嫌でも思い出してしまうので、自分の家にも寄り付かなくなり、
週の半分以上を別の場所で過ごした。
そして再び、夜型人間に逆戻りした。
誰にも邪魔されず眠れることを喜んでいられたのは最初のうちだけだった。

珍しく家で過ごしていると、大分冷たくなってきた風が窓を揺らす音に交じって
誰かが階段を上ってくる音がするのに気付いた。
誰か、は鉄男の家の前で立ち止まり、呼び鈴を押した。
「いねぇのかー、鉄男ー。」
眠そうな声。
竜だ。
布団に寝転んでいた鉄男は起き上がり、扉へ向かった。
「お、いたのか。」
「何か用か。」
「そうそう、これこれ、これ見てみろよ。」
訊ねるとやけにはしゃいで、袋から雑誌を取り出した。
鉄男が避けていたバスケ雑誌だった。
「とりあえず中入れろ、ここ寒ぃわ。」
強い風が竜の服をはためかせた。

部屋に入るなり胡座をかいて、竜は雑誌をめくり始めた。
鉄男は特に飲み物も出さずに少し離れて座り、それを見ていた。
竜が言いたいことは想像がつく。
目当てのページを見つけたらしい竜が指差しながら鉄男に雑誌を差し出した。
「ここ、これ、三井だろ?」
ニヤニヤと人の悪い笑みを顔に乗せ、鉄男の反応を見ている。
鉄男が受け取ったので雑誌から手を離し、腕を組んだ。
「元気でやってるみたいだな。すげぇじゃん。よくわかんねーけど。」
こういう健全なものとは縁がないから、どうすごいのかはよくわからない、ということだ。
鉄男も同じだった。
小さくても雑誌に載るぐらいだから、すごいのだろう。
「そうだな。」
呟いた声は思いのほか頼りがなかった。
それにつられたのか、竜もしんみりした様子になる。
「…よかったよな。」
二人ともただ三井の姿が見たかっただけで、記事の内容など読む気はなかった。

似合わない沈んだ空気に耐えられなくなり、ビールを取り出してきた。
二人で呑むのは三井が入院していた時以来だ。
退院してからは三井と三人だったし、三井が抜けてから二人で会うことは皆無だった。
「お前も未練があったのか。」
自嘲の笑いを漏らしながら、竜に向かって言った。
「そりゃ、まぁ、お前ほどじゃねぇけどな。」
並んで座る鉄男と竜の間には不自然な空白があいていた。
そこに三井はもういない。
どうあってもこの沈んだ空気は拭えないようだった。

春になったら引っ越そう。
この想いが恋や愛などというものだったかどうかはわからないが、
三井の存在は鉄男の中から、一生消えてはくれないだろう。
しかし三井が出て行ったように、もうそろそろ、鉄男も進まなければいけない頃だ。
鉄男は少し温くなったビールを胃に流し込み、大きく息を吐き出した。





ものすごく鉄男の曲だと勝手に気付いてどうしても書きたくなってしまいました。
機会があったら聴いてみてくださいと布教してみる。(笑)本来の歌詞の一人称はわたしなんですけどね。
ちなみに天野月子さんのサイト(コピペでどぞ)→http://www.otokura.com/amano/

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